東京地方裁判所 昭和58年(行ウ)153号 判決 1987年12月22日
原告
宮崎幸子
右訴訟代理人弁護士
牛久保秀樹
同
井上幸夫
同
志村新
同
渡辺正雄
同
高橋融
同
小林亮淳
同
山本眞一
同
小木和男
同
小部正治
同
青木信昭
同
上條貞夫
同
西村昭
同
秋山信彦
同
柳沢尚武
同
斎藤健児
同
前田茂
同
金井克仁
同
坂本修
同
大森鋼三郎
同
永盛敦郎
同
岡田和樹
同
今野久子
同
橋本佳子
被告
飯田橋労働基準監督署長
中澤義武
右指定代理人
岩田好二
同
中島和美
同
伊藤信夫
同
後藤寛
主文
原告の請求を棄却する。
訴訟費用は原告の負担とする。
事実
第一 当事者の求めた裁判
一 請求の趣旨
1 被告が原告に対して昭和五三年一〇月二〇日付けでした故宮崎貞三の死亡について労働者災害補償保険法に基づく遺族補償給付を支給しないとの処分を取り消す。
2 訴訟費用は被告の負担とする。
二 請求の趣旨に対する答弁
主文と同旨
第二 当事者の主張
一 請求原因
1 本件処分
(一) 原告の亡夫訴外宮崎貞三(大正七年六月三〇日生、以下「亡貞三」という。)は、訴外大日本印刷株式会社(以下「訴外会社」という。)の市ケ谷事業部第一ロッカー室の管理人として勤務していたが、昭和五二年二月一三日午前八時から二四時間のロッカー室管理業務に就労中、翌一四日午前五時すぎころ、訴外会社市ケ谷事業所仮眠室における仮眠からさめて同日午前六時からの業務に就く直前に右仮眠室入口付近で倒れ、同日午前六時五分ころ橋脳出血のため死亡した。
(二) 亡貞三の妻である原告は、昭和五三年四月一四日、被告に対し、亡貞三の死亡に関し労働者災害補償保険法(以下「労災保険法」という。)に基づく遺族補償給付の支給を請求したところ、被告は、同年一〇月二〇日付けをもつて、原告に対し、亡貞三の死亡は「業務に起因することの明らかな疾病」によるものとは認められない、との理由で不支給決定(以下「本件処分」という。)をした。
そこで、原告は、同年一二月二〇日、東京労働者災害補償保険審査官川名昭郎に対し、本件処分についての審査請求をしたが、同審査官は昭和五五年六月二〇日付けで右請求を棄却する旨の決定をした。
このため、原告は、同年八月一五日、労働保険審査会に対し、再審査請求をしたが、同審査会は昭和五八年四月一二日付けで右請求を棄却する旨の裁決をし、右裁決は同年八月一五日、原告に対して告知された。
2 本件処分の違法性
亡貞三の死亡は、以下に述べるとおり、業務に起因するものであることは明らかであり、本件処分はその判断を誤つた違法なものである。
(一) 亡貞三の勤務形態
(1) 亡貞三は、昭和四三年一月二七日(当時四九歳)訴外会社に印刷工として採用され、昭和四八年一一月二〇日定年により一旦退職した後、同月二一日から昭和五〇年一月二八日(当時五六歳)まで嘱託として従前どおり印刷工の勤務に従事し、同月二九日から訴外会社市ケ谷事業部第一ロッカー室(以下「ロッカー室」という。)の管理人として就労していた。
(2) 亡貞三の勤務形態は、印刷工当時が夜勤を含む交替制勤務であり、ロッカー室管理人となつてからは、午前八時から翌日午前八時までの二四時間勤務を二名の者が交替で一名ずつ隔日に行うというもので、正月休みを除く休日は全く与えられておらず、一回の勤務のうち、深夜午前一時から午前六時までの五時間が仮眠時間であり、ロッカー室から約三〇〇メートルの距離にある訴外会社厚生会館内の仮眠室での仮眠を許されていたが、このほかには午前一一時三〇分から午後〇時までの三〇分間が昼食休憩時間とされているのみで、夕食時の休憩時間はなく、ロッカー室において業務を行いながら夕食をとることになつていた。また、二名のうちの一方が欠勤すると、他方は四八時間勤務を余儀なくされ、欠勤した者も次に出勤するときは四八時間勤務を余儀なくされた。
なお、亡貞三の二四時間隔日勤務について、訴外会社は労働基準監督署の許可を受けていないから、これは、四週間を平均し一週間の労働時間が法定の四八時間を超え八四時間である点につき労働基準法(以下「労基法」という。)三二条に、休日を与えない点につき同法三五条に違反している。
ちなみに、訴外会社の厚生会館管理人の二四時間隔日勤務については、飯田橋労働基準監督署が昭和三四年八月二四日付けで「勤務時間明けの休日以外に週一日の休日を原則として与えるが、業務の都合により休日に出勤させることがある」との条件を前提に許可を与えている。このように、仮に、訴外会社が亡貞三の勤務条件について労基法の許可を受けたとしても、週一日の休日を与えることが前提となるのである。
(3) このような交替制勤務は、人間固有の生理的リズムに逆行し、疲労の蓄積を招きやすく、労働者の健康を害する蓋然性が高いものであるが、特に休日なしの二四時間隔日勤務は、著しく連続拘束時間が長く、しかも疲労回復の機会が奪われる非人間的労働条件である。
(二) 亡貞三の業務内容
ロッカー室管理業務の内容は、訴外会社市ケ谷事業部敷地の東方に位置する二階建の第一ロッカー室において、ロッカーキーの管理、ロッカー室内設備の保全・監視、不審者の出入のチェック、ロッカー室内の盗難防止、事故発生の場合の処理、室内及び周辺の清掃、ロッカー室利用者の手荷物の預り・保管、総務課との業務連絡等々を行うことであるが、右ロッカー室の床面積は一、二階合わせて約五一六平方メートル、ロッカー個数は総数約八〇〇個で、利用者は訴外会社従業員のほか大日本製版、大日本校正等訴外会社の関連子会社の従業員らを含め約一〇〇〇人に及んでおり、しかも、仮眠時間帯を除くすべての時間帯において人の出入りが絶えなかつた。
このように、亡貞三の業務は、多数の人々の利用する広大なロッカー室について多岐にわたる作業をただ一人のみで早朝から深夜まで行うというもので、それ自体でも心身の疲労を蓄積させるものであつた。
(三) 亡貞三の健康状態
(1) 訴外会社の行つた健康診断による血圧測定の結果は次のとおりである。
昭和年・月
最高血圧
最低血圧
摘要
四三・一一
一五六
一〇〇
要観察
四五・ 二
一六六
九四
要観察
四六・ 二
一七六
一〇六
要指導
一五六
九四
四八・ 二
一七六
一一四
要治療
一七〇
八八
五一・ 二
一八四
九八
要治療
このように、亡貞三は、昭和四三年一月に訴外会社に採用されてから一〇ケ月後の健康診断において、すでに高血圧症状を呈しており、「要観察」とされていたが、印刷工として交替制勤務に従事し続けたため、これが次第に悪化し、昭和四六年には「要指導」、昭和四八年には「要治療」と判定されるに至つていた。
(2) さらに、死亡の約二ケ月前ころから、それまで陽気な性格だつた亡貞三は、口数も少なくなり、顔色が次第に青黒くなり、一ケ月前ころからは左手がしびれて食事のさいに茶碗をうまく持つこともできないようになり、また、しばしば不眠を訴えあるいは就寝中にうなされるなど、極度の過労状態に陥つていた。
(3) 労働者と労働契約を締結した使用者は、労働者に対して安全保護義務を負うのであり(最高裁昭和五〇年二月二五日第三小法廷判決参照)、労働安全衛生法六六条七項は、安全保護義務の具体的内容の一例として、健康診断の結果労働者の健康を保持するため必要があると認めるときは、当該労働者の実情を考慮して、就業場所の変更、作業の転換、労働時間の短縮等の適切な措置を講じなければならないとしている。
しかるに、訴外会社は、健康診断の結果判明している亡貞三の高血圧症を十分に知悉していながら、同条項に違反して何らの措置もとらず、要治療と認定されている亡貞三を高血圧症を増悪させることが明らかな前記勤務に従事させたのであり、安全保護義務に違反している。
(四) 特別警備態勢
訴外会社においては、昭和四九年ころから、企業爆破事件の続発に対する警備態勢が度々とられていたが、ロッカー室の建物は、訴外会社市ケ谷工場とは公道を隔てたところに位置していたため、警備員による出入りのチェックの対象外になつており、パトロールについても別枠とされていた。また、ロッカー室の建物の横は、地下鉄有楽町線市ケ谷駅への近道として多数の一般通行人が利用しており、周辺に不審物を置くには恰好の植込みがあるなど、特に厳重な警戒を要するところであつた。そのため、亡貞三は、昭和五一年一二月ころから死亡時に至るまで、訴外会社の指示により、夜間ロッカー室の建物の外を見回るとともに、昼夜を問わずロッカー室周辺の警戒を厳重にしていなければならず、精神的緊張を絶えず強いられていた。特に昭和五二年二月五日には訴外会社に爆破予告電話がかかつたため、社内は異常な緊張感に包まれ、全社的な警備態勢が敷かれる中で、亡貞三の精神的緊張及び不安感は極度に高められたのである。
(五) 寒波の襲来
東京地方は昭和五二年一月から異常な寒波が襲来していたが、亡貞三は、このような寒さの中でロッカー室の建物周辺の見回りを強いられ、また、勤務の都度、深夜及び未明にロッカー室から約三〇〇メートル離れた厚生会館に仮眠のため往復し、寒気にさらされたことにより、健康状態を一層悪化させることになつた。
(六) このように、亡貞三の死亡は、同人が高血圧症に罹患し、要治療状態にあつたにもかかわらず、訴外会社が労働安全衛生法六六条七項に違反して適切な健康管理の措置を講ぜず、疲労を蓄積させ、同人の健康に悪影響を及ぼす交替制勤務及び労基法違反の休日なしの二四時間隔日勤務に従事させたため、高血圧症を増悪させ、かつ、爆破予告に対する警戒のため精神的緊張を高じさせ、さらには異常な寒波の中で外気にさらされる勤務を続けさせたこと等によるものであるから、業務との間に相当因果関係があるというべきである。
3 したがつて、亡貞三は、同人の業務の遂行と基礎疾病たる高血圧症とが共働原因となつて死亡するに至つたものであるから、同人の死亡に業務起因性を認めるべきであり、これを否定してなされた本件処分は違法である。
よつて、原告は本件処分の取消しを求める。
二 請求原因に対する認否
1 請求原因1について
(一) 請求原因1(一)の事実中、原告と亡貞三の関係、同人の生年月日、同人の死亡当時の勤務先と役職、死亡日時と死因は認めるが、その余は不知。
(二) 同(二)は認める。
2 請求原因2について
(一) 請求原因2(一)(1)の事実は認める(ただし、同人は当初試傭として入社し、約四カ月後本採用となつたものである。)。
同(2)の事実のうち、昼食休憩時間が午前一一時三〇分から午後〇時までの三〇分間であること及び二名のうちの一方が欠勤すると他方が四八時間勤務を余儀なくされ、欠勤した者も次に出勤するときは四八時間勤務を余儀なくされたことは否認し、その余は認める。ただし、亡貞三の勤務が労基法に違反するとの主張及び労基法の許可について週一日の休日を与えることが前提となるとの主張は争う。
なお、亡貞三の勤務形態についての被告の主張は後記三2(一)のとおりである。
同(3)は争う。
(二) 同(二)の事実のうち、ロッカー室管理業務の中に室内の監視、不審者の出入のチェック、ロッカー室内の盗難防止等の業務が含まれること、ロッカーの個数、仮眠時間帯を除くすべての時間帯において人の出入りが絶えなかつたこと及び業務内容が心身の疲労を蓄積させるものであつたことは否認し、その余は認める。
なお、亡貞三の業務内容についての被告の主張は後記三2(一)のとおりである。
(三) 同(三)(1)の事実のうち、交替制勤務に従事し続けたため高血圧症が次第に悪化したとの点は不知、その余は認める。
同(2)は不知。
同(3)の事実のうち前段は認めるが後段は不知。
(四) 同(四)の事実のうち、訴外会社において警備態勢が度々とられていたこと、昭和五二年二月五日に訴外会社に爆破予告電話がかかつたこと、ロッカー室の周辺に植込みがあることは認めるが、ロッカー室の建物の横を多数の一般通行人が利用していたこと、亡貞三が訴外会社の指示により夜間ロッカー室の建物の外を見回つたこと、爆破予告電話により社内が異常な緊張感に包まれたことは否認し、その余は不知。ロッカー室は訴外会社市ケ谷工場の構内奥深いところにあり、その横は植込みもあつて狭く、隣りの若草寮の横も同様で、かつ両者の間に仕切りがあり、段差がついているなど、およそ一般人が自由に出入り、通行できる状況にはなかつた。また、後記被告の主張2(三)のとおり、ロッカー室の建物は警備対象の場所とはなつておらず、ロッカー室管理人に周辺警備の指示が出されたこともない。さらに、爆破予告電話があつたことは一般従業員には全く知らされていなかつたから、右電話により社内が異常な緊張感に包まれたようなことはなかつた。
(五) 同(五)の事実のうち、亡貞三が厚生会館に仮眠のため往復したことは認めるが、その余は否認する。
当時の東京の気象は「異常寒波」と称するようなものではなく、また、亡貞三が夜間ロッカー室の建物周辺の見回りをしていた事実はない。なお、厚生会館へは建物の中を経由して往復することができ、訴外会社もそのように指導していた。
(六) 同(六)は争う。
3 請求原因3は争う。
三 被告の主張
1 業務上外の認定基準等について
(一) 業務上疾病の認定の基本的な考え方
業務上の疾病の認定の考え方については、およそ労働者に生ずる疾病は、一般に多くの原因又は条件が競合して発症するものであり、このような広義の条件の一つとして労働あるいは業務が介在することを完全に否定し得るものはむしろ極めて稀であるとさえ考えられる。
しかし、単にこのような条件関係があることをもつて直ちに業務と疾病との間に因果関係があると認めるべきではなく、業務と疾病との間にいわゆる相当因果関係がある場合にはじめて業務上の疾病として取り扱われるべきものである(最高裁昭和五一年一一月一二日第二小法廷判決判例時報八三七号三四頁)。すなわち、労災保険法一二条の八においては、同法による業務災害に関する保険給付は、労基法の相当する各規定に定める災害補償の事由が生じた場合にこれを行うものとしているところ、労基法の災害補償責任は、労働者の損害をその発生原因を自己の支配領域内に有する者に負担させるというもので、事業主の過失の有無を問うことなく事業主に課せられるものとされていること、また、罰則をもつてその履行が担保されていること(労基法一一九条一号)、労災保険法においても、保険給付の原資は事業主の負担する保険料とされていること等から考えると、労働者の罹患した疾病の業務起因性は明確で、かつ、妥当なものでなければならない。そうすると、結局、業務上の疾病とは、業務が当該疾病の発症に対して相対的に有力な原因であると認められる疾病をいうものと解され、業務と疾病との間にいわゆる相当因果関係がある場合とは、両者の間に右に述べた関係がある場合をいうものと解せられる。
また、右の業務起因性とは、業務と発症原因との因果関係及びその原因と結果としての疾病との因果関係という二段の因果関係を意味するが、それぞれの因果関係は、それぞれ前者(原因)が後者(結果)に対し相対的に最も有力な役割を果たしたと医学的に認め得るものでなければならないというべきである。
(二) 「中枢神経及び循環器疾患(脳卒中・急性心臓死等)の業務上外認定基準」について
(1) 業務上の疾病の範囲については、労働基準法施行規則別表第一の二及びこれに基づく告示に定められているところであるが、各疾病についての発症の条件等をすべて詳細に法文化することは困難であり、また、医学的知見の進展に対応して弾力的に対処できるようにするため、これには一定の簡潔な表現がされている。そこで、この法令の解釈又は運用に当たり必要とされる内容、すなわち、規定では明らかにされていない発症の条件等を労働省労働基準局長が行政通達の形で明示したものが前記認定基準(昭和三六年二月一三日基発一一六号)である。この認定基準は、各疾病についての現在の医学的知見を集約して、当該業務と疾病の関係について有害因子とそのばく露期間等及びそれによつて引き起こされる疾病の病像、経過等を示したものであり、全国斉一、明確かつ妥当な認定を確保するために、労働による負担が当該疾病発症に対する原因であるか否かの判定の要件として、いわゆる後述の災害的要因を掲げている。
なお、認定基準では、右の災害的な要件のほか、発症前日までの過激な業務による心身の緊張等の重積については、災害の強度を増大する付加的な要素として考慮すべきものとしている。
(2) 脳出血等の脳血管疾患については、発病の危険・促進因子として多くのものが指摘されているが、これらの多くは、職業と直接関連のない原因である。
例えば、高血圧症や脳動脈硬化症の基礎疾患がある場合には、その病状によつてはあらゆる機会をとらえて脳出血の発症する危険があるといわれている。したがつて、脳出血は、それが業務遂行中に発症したとしても、それだけをもつて業務起因性があるとすることはできない。脳出血等の発症のメカニズムからして、たまたま業務中という機会をとらえて発症したとみられるケースが多く、その場合には業務は発症に対する相対的に有力な原因とはいえず、単なる機会原因であるにすぎないからである。
そこで、これらの疾病と業務との間の相当因果関係を判断するための合理的な基準としては、発生状況が時間的場所的に明確にされ得る異常なできごとや、特定の労働時間内の特に過激な業務への就労というような災害又はそれに相当するような事態の存在が必要であるとするのが妥当である。発症原因がこのような災害的事実である以上、それはある一定期間にわたつて労働者の身体に作用して疾病の原因となるようなものではなく、いわば突発的なできごととして短時間のうちに生じる現象でなければならない。
以上のことから、当該認定基準においては、業務がこれら疾病の発症の相対的に有力な原因であると認められるためには、一定の時間的に明確とされる業務上の災害的原因によつて発症したものでなければならないという考え方が基本となつているのである。
(3) ところで、前記の基礎疾患を有する労働者がこれらの疾患に罹患した場合に、業務を唯一の原因として発症したものでなくても、業務の遂行と基礎疾患とが共働原因となつて発症を招いたと認められる場合には、業務との間に相当因果関係を認めるべきであり、この場合に、災害性の有無を重視すべきでない、すなわち、発症当時の業務の内容自体が日常のそれに比べて質的に著しく異なるとか、量的に著しく異なる過激な業務でなければならないと解する合理的根拠はないとする考え方がある。
前段の共働原因の場合の考え方は、従来の通説であり、行政解釈の考え方でもあるが、後段の考え方は妥当でない。けだし、一般に、動脈硬化症とか高血圧症の基礎疾患を有する労働者の脳血管疾患については、業務の遂行が当該基礎疾患の増悪と発症にどの程度の影響を及ぼしたかを判断することは、医学的にも極めて困難な面が多いとされているから、労働者の発症前の業務が日常のそれと比べて著しく過激でないような場合について、業務の遂行と発症との間の相当因果関係を合理的に、かつ、適正に判断することが可能かどうかは極めて疑問であるといわなければならないからである。
また、共働原因による場合であつても、先に述べたように、業務が他の原因に比べて相対的に有力な原因であると認められることが相当因果関係の成立要件というべきであるが、災害的要因を否定する考え方に従うと、結果的には業務が疾病に対して単なる条件関係にすぎないような事例にも相当因果関係を認めてしまうという誤りを犯す危険性があると考えられる。
したがつて、労働者が発症前に日常業務に比して質的、量的に特に過激な業務に従事したことによる精神的、肉体的過負担があつたという災害的な要因を前提にして相当因果関係の成否を判断する以外に認定実務上合理的かつ明確な判断基準は見出せないから、このような考え方に基づいて適正な認定に努めることが妥当な取り扱いとされるべきものである。
これに関連して、業務による過労が発症原因となつた場合には、業務起因性を認めるべきであるとの考え方がある。疲労の蓄積というものが、脳出血の誘因の一つとなり得ることは医学的にも否定できないところであるが、業務による疲労とともに業務以外の要因による疲労も影響することが少なくなく、さらに、この両者を区分することも困難である。また、疲労の程度には個人差があり、身体の条件がその程度を大きく左右するものであるから、その程度を客観的に測定することも困難である。このため、これだけで業務起因性を合理的に判断することはできない。
また、脳出血のほとんどは、本人がもともと有する高血圧症、動脈硬化症等の基礎疾患、動脈瘤等の基礎的病変が急性増悪する結果として発症するわけであるから、ある一定期間にわたる業務からくる疲労の、発症原因に対する影響を論ずることは合理的でないのである。
2 橋脳出血発症に至るまでの経緯について
(一) 亡貞三の業務内容及び勤務状況
(1) 亡貞三の業務内容
ロッカー室管理人としての亡貞三の主たる業務は、ロッカー室内にいて、適宜の時間に清掃を行うこと、ロッカーの予備鍵の保管と施錠の確認等である。そして、当該業務を具体的にみてみると、管理人により異なるが、一応の目安としては、午前八時から九時三〇分まで待機施錠確認、午前九時三〇分から一〇時まで手待ち時間、午前一〇時から一一時まで手待ち時間、午前一一時から一二時まで休憩、午前一二時から午後二時まで手待ち時間、午後二時から三時まで清掃、午後三時から四時まで休憩、午後四時から七時まで手待ち時間、午後七時から九時まで待機及び施錠確認、午後九時から九時三〇分まで清掃、午後九時三〇分から午前一時まで手待ち時間、午前一時から六時まで仮眠時間、午前六時から七時三〇分まで手待ち時間、午前七時三〇分から八時まで待機及び引継であり、引継時間、待機時間を含めても実働時間は6.5時間にすぎず、その他は休憩及び手待ち時間である。この時間は、原則としてロッカー室の管理人室にいるだけであり、ラジオを聞いたり、新聞を見たりしてよい非常にリラックスしている時間である。多少労力を要する清掃業務についても、二時間半から多くて四時間をかけて行うものであり、一定の目安は示されているものの、その順序、時間、テンポ等は個々に差があり、管理人の裁量にまかされていたものである。しかも、これら業務全体について特別に監督を受けるものではなく、当該清掃業務自体、適度の身体運動を行う軽作業であつたと認められる。また、予備鍵の保管及び施錠の確認等の業務についても、昭和五二年二月一日より同年二月一三日までの第一ロッカー棟勤務日誌によれば、鍵を忘れた者は多くても一日五名程度のもので、予備鍵を使用することの業務量としては、ほとんど問題にならない程度であり、また施錠確認も、ロッカー利用者数に限られ、随時行うもので、問題となる程の業務量とは認められないものである。そして、これらの業務も必要に応じて行うという程度のものであつた。また、盗難防止等についても、ロッカーは個人個人が施錠しており、しかも外部の者が出入りするような状況にはないのであるから、管理人が特別のことを要求されるものではなく、ただ所定の場所にいればよいという程度の業務であつたと認められる。
このように、同人の業務内容自体は、後述の勤務状況とも併せ考えれば、適度の労働を自分なりの段取り、時間配分あるいはペースで行いながら、所定の時間ロッカー室で勤務する軽易な業務であつて、肉体的にも精神的に過重なものであつたとは到底考えられないものである。
(2) 亡貞三の勤務状況等
亡貞三は、前述のとおり、ロッカー室管理業務に昭和五〇年一月より勤務しているものであるが、昭和五一年一一月一六日から昭和五二年二月一三日までの出勤状況を勤務表によつてみてみると、昭和五一年一二月分(同年一一月一六日から一二月一五日)は出勤日数一四日(うち連勤一日)、昭和五二年一月分(五一年一二月一六日から五二年一月一五日)は出勤一三日(年末年始は一二月二九日から一月三日まで休み)、同年二月分(同年一月一六日から二月一三日)は出勤日数一五日である。
なお、時間外労働は実施されていない。
次に、亡貞三の勤務時間は、前記のとおり、午前八時より翌日午前八時までの二四時間であるが、二四時間不眠不休の状況ではなく、その二四時間のうちには、多くの手待ち時間があるうえ、昼食時等の休憩時間があることは勿論のこと、午前一時から午前六時までは仮眠時間とされ、別棟の厚生会館内に設けられた冷暖房の完備した快適な仮眠室において、睡眠を妨げられることなく安眠できることとなつており、しかも勤務明けの日は、午前八時に業務を終了し、帰宅後は翌朝まで十分休養し睡眠をとれるだけの時間があつたものである。
また、同人の深夜における業務はすべて手待ち時間であり、ロッカー室に所在するのは人ではなく物であるから、一般の他の夜間業務、例えば入院患者の病態の変化をみながら付添う看護婦、消防署の職員、深夜常に安全運転を要求されるトラック運転手やタクシー運転手等の業務と比較して、全く比べようのないほど精神的にも肉体的にも楽な勤務であつたと考えられる。
原告は、亡貞三の勤務は休日なしの二四時間隔日勤務であると主張するが、年末年始に連続六日の休日を同人がとつていることからみても、連続して休むことに障害はなかつたのであり、同人が通常隔日で勤務していたのは、同人の業務が軽易な労働であつたことを示すものにほかならない。
なお、同人の業務は断続的労働であつて、業務が間欠的で労働時間中に手待ち時間が多く実作業が少ない労働で、通常の労働者と比較して労働密度が疎であるから、労働時間、休憩、休日の規定を適用しなくても必ずしも労働者の保護に欠けるところがないものである。したがつて、これは労基法四一条により、右労働時間等の規定の適用が除外されるものであり、本件の管理人の業務についても労働基準監督署の許可を後に受けており、手続的にはともかく、実体的には労基法との関係においても何ら問題のないものである。
(二) 亡貞三の健康状態と健康管理
亡貞三の訴外会社における健康診断による血圧測定の結果は原告主張のとおりであるが、徐々に上昇傾向にあり、医師の指示も当初の、要観察から昭和四六年二月は要指導となり、昭和四八年二月に至り要治療となつており、発症前約一年前の昭和五一年二月にも、同様要治療の指示を受けていたものである。
しかるに、亡貞三は、自分の健康状態を十分認識しながら、自己の判断により定期的に受検せず、また治療を受けなかつたものである。さらに、同人は、昭和五〇年一〇月には体重62.0キログラムであつたが、昭和五一年四月には、65.0キログラムと、急激な体重の増加を示しており、同人の身長(一五九センチメートル)からすれば、明らかに肥満体であつたことが認められる。
なお、亡貞三は、相当の酒好きで、明番の日は自宅で必ず朝夕飲酒し、仮眠前にも飲酒していたことがあり、また、それ程多いということではないかも知れないが喫煙の習慣もあつた。
以上のことから、同人は、血圧について治療の指示を受けながら診療機関において、受診、治療することなく、また、体重増による肥満を解消することに何ら努力することなく、しかも、本症発症のリスク・ファクターといわれている飲酒を朝夕繰り返して、同様リスク・ファクターといわれる喫煙もしており、同人の健康管理は全くなされていなかつたといわざるをえない。
(三) 爆破予告電話及び警備態勢
(1) 訴外会社においても、一連の企業爆破に関連して、昭和四九年九月、警察の指導により、本社からの指示に基づいて自社警備を開始し、管理職による宿直及び一般役職による工場周辺の警備を実施したが、昭和五〇年八月になつて、これを一般役職のみによる警備に緩和した。さらに、昭和五〇年一一月、牛込警察署からの警戒要請により、工場長、課長による宿直及び一般役職による工場周辺警備を強化したが、昭和五一年一月から一般役職のみによる警備態勢に緩和し、同年七月には、配置人員を減少し、同年一二月末には、警備態勢を解除した。ところが、昭和五二年二月五日、訴外会社に爆破予告電話が入つたため、総務課技術スタッフと一部課長らによる臨時態勢でもつて警備に当たつたが、途中で長期的になることが予測されたため、同年二月八日から一三班ローテーションを組むことになつた。そして、同月一四日再び予告電話が入つたことにより、警備態勢を強化したが、これは亡貞三の死亡後である。
このように、警備態勢実施時の警備要員は、各時期により異なるものの、すべて管理職及び一般役職者、いわゆる職制によるものであつて、一般の従業員及びロッカー室管理人は含まれておらず、しかも、ロッカー室は警備の場所になつていなかつた。
(2) したがつて、ロッカー室管理人に建物周辺の警備が指示されたことはなかつたし、亡貞三が夜間ロッカー室の建物の外の見回りをしていた事実も存在しない。
3 業務起因性の有無
亡貞三の死亡原因は橋脳出血であり、それは、高血圧性脳出血と考えるのが妥当である。
高血圧性脳出血の直接原因は、基本的には、本人に内在する素因に基づいて発症する疾病であると解せられる。
そこで、亡貞三についてみるに、脳血管障害に対するリスクファクターとしては、前述のとおり、高血圧症、脳動脈硬化症、場合によつては糖尿病の基礎疾患があり、加えて、肥満、飲酒習慣、喫煙習慣が認められている。他方、通常、労働上のリスクファクターとして、長時間労働、深夜労働、休日がないこと等が挙げられているところ、亡貞三の勤務状況は前述のとおり、原則として二四時間隔日勤務であるが、同人の勤務には手待ち時間があり、深夜には午前一時から六時まで、十分な仮眠時間が与えられているし、当該勤務は後に断続的労働の許可を受けており、また、仕事の内容も前述のとおり全く軽易な業務であつて、精神的、肉体的に過重なものであつたとは認められず、しかも、発症当日の仕事の内容も、従来の内容と全く同一のものであつた。
さらに、同人の日常生活をみても、規則正しい生活をしており、健康状態についても、高血圧症は指摘されていたが、治療することなく、発症前にいくらかの疲労はあつたとしても、単なる軽い疲労であり、欠勤することなく、毎日飲酒するような状況にあつたものである。直前の年末年始は十分休養をとつており、特に疲労が蓄積されていたとは、考えられない。また、企業爆破に関連する警備ないし二月五日の爆破予告電話も、同人の業務あるいは健康に何らかの影響を与えたことは全くない。
結局、亡貞三が発症当日従事していた業務は従来から約二年間にわたつて行つてきた業務と全く同一の内容の業務であつて、その従来の業務に比しても、過激過重でなかつたのはもとより、災害的要因も認められない。更に一般的にみても、その業務は軽易なもので、強度の精神的、肉体的負担があつたものとは到底考えられない。したがつて、当日亡貞三が発症した橋脳出血は、同人の体質的あるいは内的素因や日常生活上の素因が競合して、高血圧症が自然的に増進、増悪した結果、たまたま業務中という機会に発症したものにすぎないと解すべきものである。
なお、原告は、異常な緊張状態の中でロッカー室管理人が爆破対策の警備もあわせて行なわざるを得なかつたと主張しているが、前述のとおり、ロッカー室管理人を含む一般職員には爆破予告電話があつたことは一切知らされておらず、ましてや、管理人が警備対策の警備など行つているわけがないのであつて、原告の主張は失当である。
4 むすび
以上のとおり、同人の業務と本件疾病との間には相当因果関係がなく、右疾病には業務起因性が認められないから、本件処分は適法である。
四 被告の主張に対する原告の反論
1 被告の主張1の業務上外の認定基準についての主張は争う。
発症直前に過激な業務等の災害的事実が存在する場合に限り業務上と判断すべきである旨の考え方が何ら理由のないものであることは、すでに多数の判例によつて明らかにされている。
被告の主張は、要するに行政実務上業務上外の判断は難しいので、行政機関としての認定基準は今のところは現行のものでやむをえない、と述べているに等しい。
結局、被告は、合理性のない行政機関の現行認定基準に固執して本件を業務外と主張しているのである。
2 同2の(一)は争う。
(一) 亡貞三は、ロッカー管理勤務に従事したとき以降、次のようなサイクルの生活と勤務を余儀なくされていた。
(第一日)
午前五時ころ起床し、午前六時ころ家を出る。
午前七時過ぎには会社に着く。なお、この時間帯はロッカー室の利用者が午前九時すぎまで集中している。
午前一〇時ころからお昼まで、ロッカー室の建物一階、二階計515.84平方メートルを清掃。計一六八個ある「すのこ」を上げて清掃する。
午後四時ころからロッカー室建物の一階及び二階にある手洗所の清掃。
午後五時ころから午後一〇時ころまでロッカー室利用者が再び集中する。
午後一〇時ころからロッカー室建物の一階及び二階にある手洗所、トイレの清掃。
なお、亡貞三が管理する第一ロッカー室は、市ケ谷事業所の工場建物から区別された独立の建物であり、ロッカー室管理人は、不審者の出入りのチェックと盗難防止に特段の注意を払い、カギのし忘れ、つけ忘れなどを点検して記帳することが義務づけられていた。
したがつて、亡貞三は、清掃の時以外はロッカー室建物の入口部分で人の出入りをチェックするとともに、カギのし忘れなどの点検を行つていた。
(第二日)
午前〇時ころからロッカー室建物前など外部の清掃。
午前一時にロッカー室建物を施錠して三〇〇メートル以上離れた厚生会館へ向う。入浴後、仮眠(午前一時三〇分もしくは二時ころから)。
午前六時までにロッカー室建物のカギを開ける(遅くとも午前五時半ころには起床)。
午前八時に会社を出て、午前九時ころ帰宅。
朝食後、午前一〇時ころから一時間半から二時間位睡眠。
昼食後、二時間位睡眠。
午後五時すぎに夕食後、午後九時ころ就寝(翌朝午前五時起床、午前六時出勤)。
亡貞三は、休日というものは全くなしに以上のようなサイクルの生活と勤務をくり返していた。
また、亡貞三は午前八時の始業時刻より一時間近く前に出勤しており、時間外労働が実施されていた。
(二) 亡貞三の勤務条件は連続して休むどころか病気のときも一日の休日をとることさえ困難な状況にあつた。すなわち、一人が欠勤する場合には他方が四八時間連続勤務を行い、その後欠勤した者が四八時間連続勤務を行うことになつていたのであるから、病気で欠勤しようと思つても一日欠勤するとその後四八時間勤務を強られることになる。
したがつて、亡貞三は、体調をくずし休みをとりたいと思つても、無理をして出勤せざるを得ないような勤務条件のもとで働いていたのである。実際、亡貞三が死亡した日の前日朝に無理を押して出勤したのも、右のような勤務条件を強いられていたためである。
(三) 被告は、「会社はロッカー室管理人の業務について亡貞三の死亡後に労基法適用除外の労働基準監督署の許可を受けており、手続的にはともかく、実体的には労基法との関係においても何らの問題がない」旨主張している。
しかし、会社がもしロッカー室管理人について以前から労基法適用除外の手続をとつていたとするならば、亡貞三には休日が与えられていたであろう。休日が与えられているか、それとも全く与えられていないかは重大な問題であり、休日なしの二四時間二交代勤務は労働基準監督署でも認めない労働条件であることは明らかである。
3 同2の(二)は争う。
被告は、亡貞三が自ら高血圧症の治療を受けようとしなかつたとして同人の健康管理を問題にしている。
しかし、高血圧症にとつて有害な休日なしの二四時間二交代勤務が亡貞三に強いられていたことが重大な問題なのであり(高血圧症は、労働を含めた生活管理を行わなければ薬物治療のみでは効果がない。)、またその勤務形態自体が治療を受けにくい状況をつくつていたのである。
そもそも、業務上の判断にあたつて、労働者が疾病発症の結果を予知しながらあえて業務に従事するなどの特段の事情がない限り、労働者自身の健康管理の不十分さを業務上判断の否定根拠とすることはできない。
なお、亡貞三はロッカー室管理業務についてまもなく仮眠前の飲酒をやめている。
4 同2の(三)(1)のうち、昭和四九年九月から昭和五一年一月までの警備態勢については認めるが、その余及び同(2)は争う。
被告は、警備態勢における警備要員にロッカー室管理人は含まれておらず、ロッカー室の建物は警備の場所になつていなかつたと主張しているが、これは、ロッカー室管理人が一人しかいないため、本来の業務をはずして特別の警備要員とすることができなかつたにすぎず、また、ロッカー室の建物には管理人が常駐しており、管理人による警備が行えるために特別の警備要員による警備対象とする必要がなかつたにすぎない。訴外会社からは警備態勢下において、ロッカー室管理人に対して爆弾がしかけられていないかチェックするよう特段の指示があつたのであり、爆破予告電話があつたこともロッカー室管理人に知らされていたものであつて、そのため亡貞三がロッカー室の建物の周辺の見回りをしていたのである。
5 同3の主張は争う。
第三 証拠<省略>
理由
一請求原因1(一)の事実のうち、原告の亡夫貞三が昭和五二年二月一四日訴外会社市ケ谷事業所仮眠室入口付近で倒れ、同日午前六時五分ころ橋脳出血により死亡したこと、当時亡貞三は訴外会社第一ロッカー室の管理人として勤務していたこと、及び同(二)の、被告が原告の遺族給付の請求に対し、亡貞三の死亡は業務に起因するものではないとして本件処分を行つたことについては、当事者間に争いがない。
二そこで、請求原因2の本件処分の違法性(亡貞三の死亡が同人の業務に起因するものであるか否か)について判断する。
1 労災保険法の保険給付は、労働者の業務上の事由又は通勤による負傷、疾病、障害又は死亡に対して行われるのであるが(同法一条、二条の二、七条)、このうち、業務上の死亡に対して保険給付がされるためには、労基法七九条、八〇条に規定する災害補償の事由の存在、すなわち、その死亡が業務に起因する(以下「業務起因性」という。)と認められることが必要である(労災保険法一二条の八、労基法七九条、八〇条)。そして、この業務起因性が認められるためには、単に死亡結果が業務の遂行中に生じたとか、あるいは死亡と業務との間に条件的因果関係があるというだけでは足らず、これらの間にいわゆる相当因果関係が存在することが認められなければならないものというべきである(最高裁昭和五一年一一月一二日第二小法廷判決、判例時報八三七号三四頁参照)。
2 ところで、前記のとおり、亡貞三の直接の死因は橋脳出血であるから、本件の争点は、この橋脳出血の発症と業務との間に相当因果関係の存在が認められるか否かということになる。
<証拠>によれば、橋脳出血を含む脳出血を発症させる原因としては、外傷によるものを除き、内的な素因として、高血圧症及びこれに付随する動脈硬化症による脳の血管の変化が最も多く関与するものであること、そして、これらを促進させ、あるいは発症の引き金になるなどこれらに影響を与える要因として、遺伝的体質、高齢、肥満、糖尿病、食生活、飲酒、喫煙、気候、過労、ストレス、急激な温度変化、精神的ショックなどが指摘されていること、現実にはこれらの要因の幾つかが複合し、あるいは相互に影響しあつて、脳出血を発症させることが多いことが認められる。
本件においては、亡貞三の訴外会社に入社後の健康診断における血圧測定の結果が原告主張(請求原因2(三)(1))のとおりであることは当事者間に争いがなく、前記各証人の証言によれば、この血圧測定の結果の推移に照らして、亡貞三は採用直後から高血圧に罹患していたものであり、しかも、これが次第に悪化しつつある状態にあつたことが認められる。
そして、亡貞三の橋脳出血による死亡に、同人の高血圧症の増悪が重要な原因となつていたと評価すべきことについては、弁論の全趣旨に照らし当事者間に争いがない。
ところで、このように、それ自体が脳出血を発症させる大きな要因である高血圧症に罹患している者が脳出血により死亡した場合、その死亡について、業務起因性を認めるためには、業務の遂行が死という結果を引き起こす程度に著しくその者の高血圧症を増悪させたこと、いいかえると、業務に起因する過度の精神的、肉体的負担が、他の要因及び病状の自然的進行より以上に、その者の既に有する高血圧症という基礎疾病を急速に増悪させ、その結果、脳出血の発症を著しく早めたものであること、すなわち、業務の遂行が死に対して相対的に有力な原因となつていたことが認められなければならないものというべきである。
この点に関して被告は、業務起因性の判断基準として、発生状況が時間的場所的に明確にされ得る異常な出来事や、特定の労働時間内の特に過激な業務への就労というような災害又はそれに相当するような事態(以下「災害的事実」という。)の存在が必要であると主張する。
確かに、右の基準は明確であり、災害的事実の存在が認められるならば、業務起因性の判断は容易になると考えられるが、そのような災害的事実が存在しない場合であつても、業務の遂行と死亡との間に相当因果関係が存在することを認めるべき場合があることは、当然であつて、要は、立証の問題にすぎないのであるから、この点の被告の主張は採用しない。
そこで、以下、亡貞三の業務、健康状態、死亡直前の状況等について検討する。
(一) 亡貞三の業務歴
亡貞三が昭和四三年一月二七日訴外会社に採用されて印刷工の職務に従事し、昭和四八年一一月二〇日定年により一旦退職し、翌二一日から昭和五〇年一月二八日まで嘱託として引き続き従前の職務に従事し、次いで、同月二九日から死亡時まで訴外会社市ケ谷事業部第一ロッカー室の管理人として就労していたことは、当事者間に争いがない。
(二) 印刷工時代の亡貞三の勤務形態
亡貞三が印刷工として稼働していた間、夜勤を含む交替制勤務に従事していたことは、当事者間に争いがない。
<証拠>によれば、訴外会社市ケ谷工場における交替制勤務は、昭和三三年七月から二四時間二交替勤務、昭和四四年四月から三組二交替勤務(一組の勤務は、午前八時から午後八時までの勤務を三日続けた後一日休み、次いで、午後八時から翌日午前八時までの勤務を三日続けて明けの日とその翌日の一日休む。)など、昭和四八年四月から三・五組三交替勤務(同じく、午前八時から午後三時までの勤務を二日続け、三日目と四日目に午後八時から翌日の午前八時までの勤務を二日続けて明けの日とその翌日の一日休み、七日目と八日目に午後三時から午後八時までの勤務を二日続け、九日目と一〇日目に午後八時から翌日の午前八時までの勤務を二日続けて明けの日(一一日目)とその翌日の一日休み、一三日目と一四日目に午前八時から午後八時までの勤務を二日続けた後、元に戻る。)など、昭和五〇年の夏ころから三組二交替勤務(同じく、午前八時から午後八時までの勤務を二日続けた後、三日目と四日目に午後八時から翌日の午前八時までの勤務を二日続けて明けの日(五日目)とその翌日の一日休む。)などが実施されており、亡貞三もその勤務時期に応じて、右の各交替制勤務についていたことが認められ、<証拠>中、右認定に反する部分は採用せず、他に右認定を覆すに足りる証拠はない。
(三) ロッカー室管理人時代の亡貞三の勤務形態及び業務内容
亡貞三がロッカー室の管理人になつて後の勤務が、午前八時から翌日午前八時までの二四時間勤務を二名の者が交替で一名ずつ隔日に行うというもので、年末年始の数日間の休みを除き、特に休日の制度はなかつたことは、当事者間に争いがない。
<証拠>によれば、次の事実が認められる。
(1) 訴外会社にはロッカー室が二つあり、亡貞三は訴外鴻巣猛(以下「鴻巣」という。)と交替で第一ロッカー室の管理人として勤務していた。第一ロッカー室のある建物は、第一ロッカー棟と呼ばれ、訴外会社市ケ谷工場の南東に位置し、二階建で、延べ床面積は515.84平方メートルであり、ロッカーの個数は二人用、三人用のものを含め合計三一五個で、一日の利用者数は、亡貞三の勤務当時約一〇〇〇人前後であつた。第一ロッカー棟の西側にある発送事務所の北側には、一般人も通行できる歩道橋に上がる階段があり、北側、駐車場との間は、東側若草寮の北横を経て、営団地下鉄有楽町線市ケ谷駅前の道に通じており、同駅で降りて新宿区市ケ谷本村町四二番地の日本育英会あるいはその隣のアジア・アフリカ留学生寮等に行こうとする人にとつては、大型トラックが頻繁に通行する公道(通称大日本通り)を経由するよりも安全でかつ近道となるので、訴外会社従業員以外でもその通路の存在を知つている人は同所を通行していた。ただし、右通路は、その位置が訴外会社の構内にあつて狭く、若草寮との間に仕切りがあり、段差もついていて、一見して通路と認識しがたいものであつたことから、広く一般人に知られているという状況ではなく、したがつて、通行する人も常時いるわけではなく、また、その人数も多くはなかつた。
(2) 亡貞三は、勤務日は朝七時一〇分前後に出勤し、鴻巣と交替して午前八時ロッカー室の管理業務につき、午前九時三〇分ころまでの出勤ピーク時は管理人室にいて、社員との対応、施錠の確認などをし、その後、午前中に約一時間ロッカー室一、二階の清掃(二階はスノコを上げて行う。)をし、午前一一時三〇分から一二時まで昼食休憩をとる。午後は約一時間一、二階の手洗所の清掃をし、夕方から夜にかけての出退勤のピーク時には朝同様管理人室に待機し、午後六時ころに食堂から届けられる夕食をロッカー室においてとり、その後一、二階のトイレの清掃をする。そして、翌日午前〇時三〇分ころロッカー室を閉め、道路を経由して約三〇〇メートル離れた厚生会館へ行き、風呂に入るなどした後、午前一時ころから冷暖房設備の完備した同所の仮眠室で午前五時四五分ころまで仮眠をとり、午前六時から再びロッカー室に戻り、午前八時ころ勤務を終えるというものであつた(なお、時刻は明確ではないが、建物の前付近も掃除している。)。
また、前記のとおり、ロッカー室の勤務には、休日の制度がなかつたことから、一方が休みをとりたいときは、他方に連続勤務を依頼し、後に、欠勤した者がその分の連続勤務をするというように、二人の間で調整しながら勤務することが原則になつていたが、二人の間でやりくりができないときは、あらかじめ訴外会社総務課に申し出て、保安係に交替で来てもらうことになつていた。
(3) ロッカー室管理業務の内容は、ロッカー室内の監視、点検、予備鍵の管理、鍵を忘れた者への対応、ロッカーの施鍵の確認、ロッカー室内の清掃が主たるものであつた。そして、ロッカー室の監視といつても特別のことをするわけではなく、通常は管理人室において待機していればよいというものであり、出退勤のピークとなる時間帯を除くとロッカー室に出入りする人数はさほど多くなく、また、鍵を忘れ、管理人に、その保管しているマスター・キー(合鍵)でロッカーを開閉させて、同人の手を煩わせる者もごく僅かであり、したがつて、右の出退勤のピークの時間帯と清掃時以外は、新聞を読んだり、ラジオを聞いたり、比較的自由にしていることができるいわゆる手待ち時間も多かつた。
右認定に反する<証拠>は措信できず、他に右認定を覆すに足りる証拠はない。
また、(3)で認定した事実に関し、原告は、<証拠>を根拠に、ロッカー室への人の出入りのない時間帯はなく、いわゆる手待ち時間になるものは存在しないと主張する。しかしながら<証拠>は、一日だけの調査であり、亡貞三が勤務していた昭和五二年二月以前の時期とは約三年以上も隔たつているうえ、同号証の記載によれば勤務態勢、ロッカーの個数も異なつているというのであるから、その調査結果を直ちに一般化することには無理があると考えられるし、同号証によつても、入室及び退室人員がそれぞれ一時間に五〇人を超えるのは、午前七時から九時まで、午後五時から一一時までであつて、その余の時間帯にはロッカー室へ出入りする者はさほど多くなく、これらの者に一々応対していたとは考えられないから、右調査結果をもつて手待ち時間の存在を否定することはできないものというべきである。
したがつて、被告の、実働六時間三〇分でその余は休憩又は手待ち時間であるとの主張は、そのすべてをにわかに採用することはできないが、前掲各証拠及び弁論の全趣旨を総合すると、少なくとも午前九時三〇分ころから午後五時ころまで、午後一〇時ころから翌日午前一時ころまで、仮眠後の午前六時ころから七時ころまでのうち、清掃時間と休憩時間を除く部分は、比較的自由に待機していることのできるいわゆる手待ち時間と評価し得るものであると認められる。
(四) 亡貞三の日常生活及び健康状態
<証拠>によれば、次の事実が認められる。
(1) 勤務を終えてからの亡貞三の日課は、若干のずれないし順序の違いはあるものの、午前九時過ぎころ帰宅し、風呂に入り、庭掃除をしたり、小鳥の面倒をみた後、ウイスキーの水割りを軽く一、二杯飲んで食事をし、午前一〇時半ころから眠る。昼ころに起きて昼食をとり、雑用をすませるなどした後再び二時間くらい眠る。午後四時ころ起きて散歩をしたりし、午後六時ころウイスキーの水割りをやはり一、二杯ほど飲んで夕食をとり、午後九時ころには就寝する。翌日は午前五時過ぎころ起きて朝食をとり、午前六時過ぎには家を出るというものであつた。
(2) 亡貞三は、酒は好きなほうで、当初はビールあるいは日本酒などを飲んでいたが、昭和四九年ころからウイスキーに変えていた。また、ロッカー室の管理業務に変わつてまもなくのころ、仮眠前に近くの屋台で酒を飲んできたり、仮眠室でウイスキーを飲んだりしたことがあつたが、勤務中の飲酒は止めたほうがいいと同僚に注意されてからは、そのようなことはなくなつた。タバコについては、吸うことは吸うが、その量は極めて少なかつた。
(3) 亡貞三は、訴外会社が定期に実施していた健康診断において、血圧が高いことを指摘され、要治療と判定されていたが、その症状は血圧測定の結果だけから見るとそれほど重度のものとはいえない程度であり、同人自身もとりたてて薬を飲んだり、治療を受けていたようなことはなかつた。また、昭和五一年一二月に実施された定期健康診断においては血圧測定を受けておらず、むしろ、血圧の高いことを承知していたため、定期健康診断を受けることを嫌つていたようなふしもみられた。
なお、昭和五〇年五月二二日、昭和五一年四月八日の定期健康診断において尿中の糖の量につき、いずれもと判定されており、昭和四九年一一月ころ糖尿病、肝不全ということで診療を受けたこともあつた。
また、体重は、昭和五〇年一〇月二七日の定期健康診断時に六二キログラムであつたものが、昭和五一年四月八日、同年一二月六日の健康診断においては、いずれも六五キログラムと増加を示しており、一五九センチメートルの身長に比較して肥満と評価し得るものであつた。
(五) 特別警備態勢
ところで、昭和四九年九月以降、企業爆破事件に関連して、訴外会社もその標的にされる恐れがあつたことから、同社においても度々警備態勢が敷かれたこと、昭和四九年九月から昭和五一年一月までの警備態勢の内容(被告の主張2(三)(1))、昭和五二年二月五日に、訴外会社に対して爆破予告電話がかけられたことについては、当事者間に争いがない。
(1) <証拠>によれば、次の事実が認められる。
昭和五〇年一一月からとられた警戒態勢は、工場長、課長による宿直、及び一般役職による工場周辺警備であつたが、これは、昭和五一年一月に一般役職による警備に緩和され、さらに、同年七月配置人員が減じられ、昭和五一年一二月末には警戒態勢が解除されるに至つた。
しかるに、昭和五二年二月五日前記の爆破予告電話がかけられたが、この種の爆破予告電話はこの日が初めてであり、その内容は三日後の爆破を予告するものであつた。その後同月一二日に受話器を取ると同時に切れるといつた電話が計三回あり、亡貞三の死亡した日である同月一四日午前一一時ころに、一週間から一〇日後に爆破する旨の電話があつた。そして同月二五日には金一〇〇〇万円の金銭を要求する電話があり、翌二六日、二八日、三月一日とその関係での電話のやり取りがあつた。
このような状況下において、訴外会社は、同月五日の爆破予告電話以後、次のような指示を主な内容とする緊急警戒態勢をとつた。
① 各課役職者は、課長又は代行者の指揮により、当該課の共通部分を中心に不審物品の検索、発見に努める。
② 検索は、特別検索を月曜日と火曜日に朝八時から九時までと夕方四時から五時まで行い、日常検索を昼間時各課の職制により行う。
③ 不審物品を発見した場合は、近くに人がいれば直ちに避難させた後、総務課長に連絡し、指示を待つ。
④ 不審者を発見した場合は、近くにいる人に昼間は総務課長、夜間は宿直責任者まで連絡を依頼するとともに引き続き監視を続け、指示を待つ。
⑤ 外来者が手荷物を携帯している場合は、入場票、通行許可証等の所持の有無を問わず、保安員はその内容物について質問し、必要に応じて内容を点検する。
⑥ 不審者の侵入を防止するため、各開口部はできるだけ閉鎖する。
⑦ 総務課、技術スタッフ、一部課長らにより班を編成して巡回パトロールを行う。
そして、同月一四日の予告電話の後には更にこれを強化し、日曜、祭日も警備を行うほか、パトロールを一七班編成にして実施し、同年三月からは、金属探知器を使つて出入りする者をチェックし、また、市ケ谷工場南一号棟に監視ボックスを設置したりした。
なお、爆破予告電話については、訴外会社において無用の混乱を避けるなどのため、一般の従業員に知らせない方針をとつていたが、一部の職制から話が出るなど何らかの形で多くの一般従業員もこれを知るに至つていた。
以上の事実が認められ、<証拠>中右認定事実に反する供述部分は措信しない。
(2) ところで<証拠>によれば、第一ロッカー棟周辺は前記管理職によるパトロールの対象地域になつていなかつたこと、ロッカー室の管理人に対しては、爆破予告電話について職制の人から話があり、空いているロッカーに爆弾を仕掛けられないようにロッカーの施錠をきちんと確認するように、屋上に上れるようになつているので戸締まりのときに気を付けるように、との指示があつたため、管理人において、ロッカー室へ出入りする者により注意するようになつたことが認められ、<証拠>中右認定に反する供述部分は措信しない。
(六) 亡貞三の死亡当時の気候
<証拠>によれば、昭和五二年一月の東京地方は、日中の最高気温の平均が摂氏7.5度と平年を1.9度下回つて戦後最低となるなど、厳しい寒波に見舞われたこと、二月に入つてからも一〇日には降雪もあるなど繰り返し寒波に襲われたことが認められる。
(七) 亡貞三の死亡直前の状況
<証拠>によれば、亡貞三は、昭和五一年の一二月ころから口数が少なくなり、顔色が次第に青黒くなつてむくみがあり、死亡の一か月前ころからは左手をこたつの中に入れたまま食事をするようなことも見られるようになり、また、いつも行つていた鳥や金魚の世話もほとんどしないようになり、しばしば疲労感や不眠を訴えたり、夜中にうなされることも多かつたこと、昭和五一年一二月に出勤途中で気分が悪くなり、勤務を取りやめて帰つて来たことがあつたこと、昭和五二年二月一二日の朝、勤務を終えて帰宅した後は、一日中横になつており、夜の就寝時には、翌日は休みたいと言つていたこと、翌一三日の朝は、日常行つていた布団の片付けもせず、食事もとらず、原告に声をかけることもなく出勤したこと、同日夜から翌日にかけての勤務中、仮眠のために厚生会館の仮眠室に行つた際、同僚の訴外原井稔彦(以下「原井」という。)に対し、少し疲れたから寝ようと言つて、風呂に入らずに就寝したこと、一四日の午前五時ころ、右原井は亡貞三が洗面所に行く物音を聞いたが、戻るのが遅いと思つているうち、カタン、カタンという音を聞いて部屋の出入口に出たところ、亡貞三が倒れていたこと、同人の心臓は動いていたものの、意識はなく、同日六時五分死亡と判定されたこと、死亡当時亡貞三は五八歳であつたこと、以上の事実が認められ、右認定を覆すに足りる証拠はない。
3 以上の認定事実を前提として、相当因果関係の有無について判断する。
(一) <証拠>及び前認定の亡貞三の死亡直前の状況からすると、亡貞三は昭和五一年一二月ころから体の変調を来しており、これは、高血圧症の増悪によるものと考えるのが自然であり、この高血圧症の増悪が最終的に亡貞三に橋脳出血を発症させたものと推認することができる。
(二) そして、前認定の事実によれば、亡貞三の橋脳出血発症の原因となり得るものとして、同人の基礎疾病の自然増悪、業務の遂行、肥満、糖尿病の影響、高齢、飲酒習慣、寒波の襲来等が一応考えられる。
原告は、亡貞三の死は、業務の遂行により高血圧症を悪化させた結果によるものであり、亡貞三の高血圧症の基礎疾病と業務の遂行とが共働原因となつたものであると主張し、より具体的には、交替制勤務が人間固有の生理的リズムに逆行し、疲労の蓄積を招きやすく、労働者の健康を害する蓋然性が高いものであり、亡貞三の高血圧症の悪化は、同人が印刷工時代に前認定の交替制勤務に従事したためであり、そして、ロッカー室管理人になつてからの、労基法等違反の休日なしの二四時間隔日勤務、爆破事件に対する警戒による緊張及び寒波の中での夜間外部見回りが同人の高血圧症を一層増悪させ、ついに橋脳出血を発症させたものであると主張するので、以下順次検討する。
(1) <証拠>によれば、確かに、一般論としては、原告主張のとおり、交替制勤務がこれに従事する者に健康上の悪影響を与える蓋然性の高いことが認められ、また、前認定のとおり、亡貞三の血圧測定結果は入社時以降次第に悪化している。しかしながら、亡貞三の印刷工時代の交替制勤務は、前認定のとおり、期間も長く、その形態も一様でないのであり、その態様、業務の内容、質、量、熟練度、従事期間等により健康に対する影響は異なつていたはずであり、また、その期間の日常生活との関係も考慮しなければならないのであるから、これらの具体的状況が未だ十分に立証されていない本件においては、印刷工時代の交替勤務が亡貞三の高血圧症に与えた影響を認定することは困難である。また、亡貞三の高血圧症が悪化しているといつても、それは亡貞三がロッカー室勤務に変わつた時点で特に重度のものではなかつたし、同人には、前記2(四)で認定した肥満、高齢、糖尿病、飲酒習慣等の高血圧症を増悪させ、脳出血発症の原因となる他の要因も存在していたものであり、これらを考え合わせると、印刷工時代の交替制勤務自体が、後に脳出血発症をもたらす程度に著しく高血圧症を増悪させたとは、本件全証拠によるも認めることはできない。しかも、亡貞三の死亡時と印刷工時代の交替制勤務に従事していた時期とは、約二年の間隔があり、その間に同人は、前記認定のとおり、一旦印刷工を退職し、後記認定から、拘束時間は長いものの従前の業務に比べて質、量ともにむしろ軽減されたものと推認できるロッカー室勤務に変わつていたこと等を総合勘案すれば、結局、同人が印刷工時代に交替制勤務に従事していたことと、同人の高血圧症の悪化ひいてはロッカー室の管理業務に変わつた後の脳出血による死亡との間に相当因果関係を認めることは困難であるといわざるを得ない。
(2) 次に、亡貞三のロッカー室勤務について検討するに、前掲各証拠によれば、これが二四時間隔日勤務であつて休日がないこと、深夜業務を含みその拘束時間が長いこと及び人間の生理的リズムとの関係などから、通常の昼間勤務と比較して一般的には疲労度は高いと認められる。しかしながら、前認定のロッカー室における亡貞三の業務は、肉体的に負担となる労働は清掃業務以外にはなく、その余はロッカー室の管理人室あるいはその周辺において待機し、断続的に社員との応対、施錠の確認、予備鍵の保管等をすればよいというものであつて、新聞を読んだり、ラジオを聞いたりする余裕のあるいわゆる手待ち時間の比較的多いものであつたのであり、また、午前一時ころから少なくとも四時間半程度は、冷暖房が完備した仮眠室で仮眠することができ、その間、警報や緊急指令等によつて睡眠を妨げられるような状況は何らなかつたのであるから、深夜業務を含むといつても、その内容、強度において、比較的軽い労働であつたというべきである(<証拠>によれば、亡貞三自身、ロッカー室勤務に変わつてから、原告に対し、前に比べていくらか楽になつたと言つていたことが認められる。)。そして、清掃業務についても、一人で延べ床面積515.84平方メートルのロッカー室、洗面所、トイレ、建物の前付近について行うものではあるが、四回に分けて、かつ自分のペースで時間をかけてすことができるものであつて、これが疲労を蓄積させ、高血圧症を著しく悪化させるほど強度のものであつたとは認めることができない。したがつて、拘束時間が長いからといつて、業務の内容、強度に照らし、また、前認定のとおり、勤務明けの日には自宅で休養をとることが可能であつたことからして、亡貞三のロッカー室における通常業務の遂行自体が、疲労を蓄積させ、高血圧症を著しく悪化させるものであつたとは認めることができない。
(3) ところで、前記の亡貞三の業務は、労基法四一条三号にいう「断続的労働」に該当するものと認められるから、同号により、使用者たる訴外会社が労働基準監督署の許可を受ける限り、労基法三二条の労働時間に関する規定、同法三五条の休日に関する規定の適用はないのであるが、<証拠>によれば、訴外会社は亡貞三が勤務していた時点においては同号の許可を受けていなかつたこと(この事実は当事者間に争いがない。)、亡貞三の死亡後の昭和五三年一一月六日付けで労働基準監督署から、ロッカー室管理人の断続的業務について(ただし、亡貞三の勤務時の労働条件と異なり、月二回の休日が原則として与えられることになつている。)、「断継的労働については、実際に作業する時間の合計がいわゆる手待時間の合計よりも少なく、かつ、実際に作業する時間の合計が八時間以内であること。」等の条件を付されて許可されていること、ロッカー室の管理人と同様に二四時間隔日勤務で実働八時間の断続的労働に従事していた厚生会館の管理人については、原則として週一日の休日を与えるとの勤務条件で、昭和三四年八月二四日付けで同法四一条三号の許可がされていることが認められる。
したがつて、亡貞三の勤務条件に関する限り、これは二四時間隔日勤務という点で労基法三二条一項に、毎週一回の休日が与えられていない点で同法三五条一項にそれぞれ違反するものというべきであり、その点で違法であるといわなければならない。
しかしながら、訴外会社の労基法違反行為に関する責任と亡貞三の死亡につき業務との間に相当因果関係が認められるか否かの問題とは別であつて、違法行為があつたからといつて、直ちに、亡貞三の死亡に業務起因性が認められるわけではない。原告は、厚生会館の管理人の例、亡貞三の死亡後のロッカー室管理人に対する労働基準監盗署の許可条件からして、労基法に従つて許可申請がされていれば、休日を定めることが条件になつていたであろうことが推察できるとし、その場合、亡貞三が高血圧症を悪化させて死亡することはなかつたと主張するかのごとくであるが、前認定の亡貞三の勤務形態、業務内容に照らすと、休日制度の有無が、亡貞三の死と業務との間の相当因果関係の有無につき、決定的な影響を与えるものとは未だ認めることができず、他にこれを認めるに足りる証拠はない。
(4) 更に、原告は、訴外会社には労働者に対する安全保護義務があり、労働安全衛生法六六条七項により、健康診断の結果労働者の健康を保持するため必要があると認めるときには、その労働条件について適切な措置を講じなければならないのに、訴外会社はこれを怠り、亡貞三の高血圧症について十分に知悉していながら何らの措置もとらず、その結果同人を死に至らしめたと主張するが、前認定のとおり、亡貞三は、昭和五一年一二月ころから高血圧症が悪化していたと推測されるのであるが、それまでは、特段の健康状態の異常は窺われなかつたのであり、血圧測定の結果要治療と判定されながら、同人が治療を受けていなかつたことからすると、同人自身もその必要性を感じていなかつたことが窺われ、これらのことと亡貞三が昭和五一年一二月の健康診断を受検していないこと、さらに前記同人の業務内容等を総合すると、訴外会社において、勤務の変更等労働条件についての措置をとらなかつたことが、安全保護義務に反するということはできない。したがつて、原告の右主張は理由がない。
(5) 次に、原告は、ロッカー室管理人としての爆破事件に関する特別警戒による精神的緊張、及び寒波の中での夜間の第一ロッカー棟周辺の見回り等が亡貞三の高血圧症を一層増悪させ、同人を死に至らせたと主張する。
確かに、爆破事件に対する市ケ谷事業部全体の警戒態勢は、警備に当たつたものは当然として、正式には知らされておらず、かつ、警備担当者に組み込まれていなかつた一般従業員に対しても、少なからぬ緊張感を与えたであろうことは、前認定の事実に照らして明らかである。そして、ロッカー室管理人は、施錠の確認、屋上に通ずる階段付近の注意等の指示があつたことから、ロッカー室に出入りする者に一層注意するようになつたのであるから、これらの状況が亡貞三の高血圧症に対しある程度の影響を与えたであろうことは推認することができる。
しかしながら、前認定の事実によれば、爆破に対する警戒態勢は、亡貞三がロッカー室の管理人となつた昭和五〇年一月当時既に実施されていたものであり、途中緩和されたり、再度実施されたりした後、昭和五一年一二月末には一旦解除され、昭和五二年二月五日にまた実施されたという経過をたどつているのであるから、その間亡貞三が常時強い精神的緊張を持続させていたとは考えられず、また、爆破予告電話があつた後も、ロッカー室管理人が警戒すべきことは、上記の施錠の確認等が主たるものであつたのであるから(原告主張の外部の見回りについては、以下に判断するとおりである。)、亡貞三の緊張が強度のもので、これがその高血圧症を著しく悪化させるものであつたとは認めることができない。
次に、ロッカー室管理人の建物周辺の見回りについては、これを訴外会社から指示されたり、管理人が現実に必ずこれを行つていたと認めるに足りる証拠はない。すなわち、<証拠>には、亡貞三は、昭和五一年九、一〇月か一二月ころ原告に対し、会社に爆破の電話がかかつてきた、会社から外の警備をもつと厳しくしてと言われたので外部を二、三回まわつているのがつらい、ロッカー室の外の階段付近やゴミ箱の中も見ているとの趣旨のことを言つていたとの部分があるが、このうち、爆破予告電話のあつた時期については、右各証拠で食い違いがあり、かつ前認定事実に照らして採用できないのであり、また、ロッカー棟周辺の見回りについては、そもそもこれがロッカー室管理人の本来の業務内容に入つていないこと、同僚の鴻巣や原井がこれを行つていたことを認めるに足りる証拠がないこと(<証拠判断省略>)及び見回りを指示したことはないとの証人大野進の証言に照らすと、これをにわかに措信することはできないものである。そして、前認定のとおり、第一ロッカー棟周辺を一般人も通行することがあり、その意味で同所はある程度警戒を要する場所であつたと考えられるが、それだけで亡貞三や鴻巣が現実に必ず周辺の見回りを行つていたことを推認することはできない。
結局、亡貞三が第一ロッカー棟周辺の見回りをしたことがあつたとしても、その回数、時間、内容、程度等は明らかではなく、したがつて、これが亡貞三の高血圧症の著しい増悪をもたらすほどのものであつたとは認めることができない。
よつて、この点に関する原告の主張は採用できない。
(6) なお、原告は、亡貞三の死亡した昭和五二年冬は寒波に襲われており、その中での夜間の第一ロッカー棟周辺の見回り、仮眠のための厚生会館への往復等により、寒冷にさらされ、このことが亡貞三の高血圧症を悪化させたと主張するところ、当時の気候については、前認定のとおりであつて、平年に比べ気温が低かつたことが認められる。
しかしながら、寒冷の影響は、勤務時だけに限られるものではないと考えられる上、第一ロッカー棟周辺の見回りについては、右に判断したとおりであつて、亡貞三の行つたとする見回りの回数、時間、内容等が明らかでない以上、これを前提とする寒冷の影響を判断することは意味がないというべきであるし、また、厚生会館への往復についても、一勤務一回の短時間短距離の往復が亡貞三の高血圧症を著しく増悪させたとは本件全証拠によるも認めることができないことからすると、寒波の襲来を業務起因性の認定根拠にすることはできないものというべきである。
(7) そして、前認定のとおり、亡貞三には高血圧症という基礎疾病のほか脳出血発症の原因となる他の要因の存在も認められ、これは決して無視できるものではないと考えられるのみならず、亡貞三の高血圧症の症状の推移、特に昭和五一年暮れころからの状況などを併せ考慮すると、以上検討してきた亡貞三の業務の同人の高血圧症に対する影響は、未だ、他の要因及び病状の自然的進行より以上に、同人の高血圧症を急速に増悪させて脳出血の発症を著しく早め、よつて同人に死をもたらす程度のものであつたと認めることができないものといわざるを得ない。
(三) 結局、以上のとおり、亡貞三の橋脳出血に対して業務の遂行が相対的に有力な原因となつていたことは認めることができない。
なお、本件について、亡貞三の死亡に業務起因性があるとした労働科学研究所の斎藤一医師の意見(前掲甲第一号証)及び杏林大学医学部衛生学助教授である証人上畑鉄之丞医師の供述があるが、これらはいずれも亡貞三の業務に対する評価及び脳出血発症の要因となる他の事実に対する評価が異なつたり(斎藤意見)、爆破事件に関する亡貞三の警戒業務に対する事実認識が当裁判所と異なる(上畑供述)ものであつて、採用できない。
4 以上によれば、亡貞三の死亡と業務との間に相当因果関係が存在すると認めることができないから、同人の死亡に業務起因性がないとしてされた被告の本件処分に違法はない。
三よつて、原告の本訴請求は理由がないから、これを棄却することとし、訴訟費用の負担につき行政事件訴訟法七条、民事訴訟法八九条を適用して、主文のとおり判決する。
(裁判長裁判官宍戸達徳 裁判官山﨑恒 裁判官生野考司)